速水奏「むっつりだなんて、失礼しちゃうわ」

1: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:15:32.34 ID:t0p/t1550
好きな人に邪険にされるのが好き。

たとえばそう、私が誰かに対して。

いくら声をかけても、ちょっかいをかけても、その人は簡単に打ち払うだけでちっともこちらをむいてくれない。

私が何をしたってどうでもよくって、私が何をしたって、なんとも思ってくれない。

それって、どんな私でも受け入れてくれてるってことじゃない?

それがとても楽しいから、なんて。


そんな秘密を漏らしてしまったのはいつのことだったかしら。

ああも赤裸々に口にしちゃって、どうしてだかは覚えてないけれど、その時の私はよほどご機嫌だったらしい。

たしかお相手は加蓮。

もちろん加蓮は、またこの子は変なこじらせ方して、なんて言ってるような、どうしようもないしかめっ面をしていたけれど。

その顔に、その目に。

少しだけ、満足した。
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2: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:17:38.04 ID:t0p/t155o
――――
―――――――
―――――――――



「今夜は恋愛映画にしない?」


そんな私の言葉を聞いて、伊吹がニヤリと笑う。

わざとらしくつり上がった口で、へぇ~だなんて言いながら。

お仕事終わり、もうすぐ深夜といえるような時間が近づいてきたあたりの、レンタルビデオ屋さん。

ちゃっちなホラー映画を物色しながら、気だるげに見えるように流し目を送る。
3: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:18:12.20 ID:t0p/t155o
上機嫌の伊吹がくるっとまわって足早に向かうのは、普段の私なら意識してでも目を向けない、恋愛映画の棚。

パッケージどころか、背表紙のタイトルですら恥ずかしくって見てられない。

そんな中をずんずんと進む伊吹は、なんだかいつもより頼もしく見える。

まぁ、いつもがちょっと、抜けすぎているだけなのかもしれないけれど。


「ところで、部屋は?」

「それも伊吹ので、いいわ」

「ふふー、おっけおっけ!」
4: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:19:53.63 ID:t0p/t155o
今夜のようなお仕事とお仕事のちょっとした隙間、二人でなんとなく暇ができれば開かれる鑑賞会。

映画の選択権は順番順番に持ち回り制で、部屋を準備するのももちろん映画を選んだ方。

主催は、監督は、全てを決めていい、だなんていうとちょっと大げさかしら?

部屋を暗くするか明るくするか、座椅子やテレビの位置、食べ物の有無に、飲み物のチョイス。

最高の環境を整えて、自分自身が最高に楽しめるように全力で。

その時だけは相手への配慮なんて、最低限でいい。

欠片だけでいい。

そんな、わがままで最高に独りよがりな、二人ぼっちの鑑賞会。
5: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:21:02.16 ID:t0p/t155o
「奏ってさ、たまーにこういうことあるけど、どういう心境なの?」

「さぁ? なんとなく?」

「はぐらかしてる?」

「さぁ?」

「うーん……まいっかこんな時でないと二人で恋愛モノはみられないもんねー♪」


伊吹の顔に浮かぶにやにや、にやにや。

手加減しないよー? と張り切るいたいけさがまた微笑ましい。

普段は私がからかうことが多い分、反撃の目が見えた途端、あからさまにうれしそうになるのよね。

降ってわいたチャンスに浮かれている。

自分だってきわどいシーンでは顔真っ赤にしちゃうくせに。

本当、かわいいんだから。
6: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:21:37.38 ID:t0p/t155o
ところで、いくら独りよがりだなんていいはしても、いつもならさすがに相手が見られないものは避ける。

私ならもちろん恋愛映画は見られない。

伊吹なら……単純につまらない映画。

いわゆるB級とか言われるようなやつ。

こっちは普通にしてれば私だってまず選ばないから、制限なんてないも同然。

ハリウッド、邦画、フランス、イタリア、香港、インド。

アクション、ホラー、コメディ、サスペンス、はたまた懐古にひたる白黒やサイレントまで。

何十回もの鑑賞会で二人でなんだって見てきた。
7: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:22:57.06 ID:t0p/t155o
「うーん、こっそり見てた私のイチオシもいいけど、どうせならやっぱり私も初めてのがいいなぁ」

「あら、伊吹の初めてをいただけるの? 光栄ね」

「今選ぶのに真剣なの。 そういうのいらないから」

「あらごめんなさい」


茶々を入れれば、しっしとあしらわれる。

ふふふ、真剣な目、しちゃって。
8: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:24:15.34 ID:t0p/t155o
こっそり手元を覗いていると、だんだんと伊吹の中で作品が絞られていくのがわかる。

うーん、いくら恋愛映画って言ってもさすがにインド映画はどうかしら?

あれはあれで情熱的でいいものだけど。

あ、戻したわね。

あら? その左手のは確か恋愛モノの皮をかぶったサスペンスホラーだったはず。

パッケージ裏、どう見ても恋のピンクってよりは血の赤だもの。

昔に見て、そこそこには面白かったけど、こんなところに紛れ込んで。

店員さんが間違えたのねきっと。

あら、気が付いた。

青い顔して、慌てて戻して。
9: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:25:53.30 ID:t0p/t155o
……そうそう、結局のところ、無難なハリウッドか邦画あたりに落ち着くのよね。

壮大なのか、身近なのか……

迷ってる迷ってる。


「よし、これにしよ!」

「決まったわね。 行きましょ」

「あ、ちょっとまってよ! これねこれね! 最初はあんまり期待されてなかったんだけど、あとから口コミとかリピーターの評判がね――」

「待って」

「え?」


嬉々として選考理由を語りだす伊吹にマテをする。

なんで? なんで? と見つめてくるそのとび色の目にすこしだけ、罪悪感。
10: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:27:00.20 ID:t0p/t155o
「評判なんて、見る前に聞くものじゃないわ。 そうでしょ?」

「うーん、それもそっか! 気にするねぇ……ふふふ、なんだかんだ奏も楽しみなんだ?」

「まぁ、ね」

「そっかそっか」


恋愛映画の好い評判なんて、どうせ発信者の投影とエゴだらけよ。

そんな言葉は呑み込んだ。

決して見下すわけではないけれど、聞いてしまえばきっとじっとはしてられない。

耳に入った途端に歯が浮いて、背中がかゆくなって、鳥肌が立って。

頭をこじ開けてでも、入った音を掻き出したくなる。

見た人の感想なんてバイアスをかけてすらこれだもの。

本編を見た日になんて、どうなってしまうのかしら。

これだから、恋愛映画は苦手。
11: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:27:52.13 ID:t0p/t155o
「よし、それじゃあ感想会は終わってからのお楽しみ! 借りてくるから、待ってて!」

「はいはい、いってらっしゃい」


とっとっとっと軽快にレジへとかけていく二つのしっぽを見送る。

ひらひらのシュシュでまとめられたその子たちは左右に振れて、まるで持ち主のうかれっぷりを教えてくれるよう。

改めて罪悪感。

ごめんなさいね、感想なんてきっとあなたの言葉のオウム返しよ。

心の中でだけ、いまのうちに謝っておく。

でもそれで気が付かない、あなたたちのご主人も悪いんだから、おあいこよね。
12: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:29:01.15 ID:t0p/t155o
「でも、楽しみ」


映画を見られないまでも、私には私の楽しみ方がある。

内緒にしてる、私だけの楽しみ方がある。

内緒なのは単純に知られると恥ずかしいからとか、気が引けるからというのもあるけれど。


「だって、ヒミツは多いほど、きれいになれるらしいじゃない?」


もちろんこんなのこじつけで。

こじつけだけど、気に入っているのよね。
14: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:30:47.28 ID:t0p/t155o
―――――――


「このくらい?」

「うーん、もうちょっと、もうちょっと角度を下に……」

「指示が曖昧ね……こう?」

「そうそうそう! ……うーん、よし! これでかんせーい!」

「……ふぅ」

クッションにカーテンにクロスに壁紙にと、パステルな色合いが並んだワンルーム。

その真ん中で、女の子すわりの監督がご満悦にカットを鳴らす。

小さなこだわりが山ほど詰まった大型テレビの出で立ちに、微調整に奮闘した私の苦労が偲ばれた。

画質調整のテストで流しているニュース番組が、もうすぐ日付が変わると告げている。

鮮やかになった色調で光る、ニュースキャスターの肌色が目にいたい。
15: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:33:26.17 ID:t0p/t155o
「それにしても、今回はずいぶんとこだわったわね」

「まーね! ちょっといつもと違う気分で見よっかな、なんて」

「そうね、そういう気分になる時はあるわよね」

「さっすが奏! わかってるー!」


歓声を受けながら、この部屋の玉座たる、だるだるに伸びたビーズクッションに背を預けた。

となりで伊吹があ、という顔をしたけど知らん顔。

わざと伊吹から視線を外して、ゆるく閉まったカーテンを眺めながら、無言で権利を主張する。

あれだけ働いたんだもの、いいでしょう?

いいわけあるか。 ここはアタシの城だぞメーン?

数十秒間、そんな無音の戦場をくぐり抜ける。
16: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:34:38.66 ID:t0p/t155o
ため息が聞こえた。

パチンと電気を消す音がすれば、私のごねがち。

カーテンごしに街灯の淡い光が広がっていて、それに照らされながらすねた伊吹が戻ってきた。

と、思ったのだけど。


「はい、どーん」

「ちょっと、せまいわ」

「このクッションは私の特等席なのー。 半分で妥協してあげるだけでも感謝するんだね」

「…………」


また、にやりと笑われた。

伊吹のくせに、なまいきね。
17: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:35:38.22 ID:t0p/t155o
「さすがにこれじゃあ落ち着かない……」

「しゃあらっぷ! もう映画がはじまります」


アタシ、真剣だから。

そう主張する目に見つめられればもう言葉は繋げない。

しかたない、しかたないと言い訳して、ごそごそとしっくりくるおしりの位置を探す。

気がつけば自然と、それとも無意識に欲が出たのか、なんだか伊吹に寄りかかるようになった。

まるで電車で寝てしまったお隣さんのように。

肩を寄せて、頭を預ける。

今日は顔が、唇が、近い。
18: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:36:26.78 ID:t0p/t155o
「なんだか、ドキドキするわね」

「でっしょー! やっぱり始まる前のこの感じがいいよね!」


にやけてしまう口元を隠すのはうまくいったかしら。

本編ではもっともっとドキドキするよ! とは伊吹の談。

どうせ私は目を向けないけど、思う存分、楽しんでほしい。

周りの事、例えばそう、私の事さえ忘れるくらい。

私のことがどうでもよくなるくらい。

それくらい、楽しんでもらわないと。
19: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:37:54.70 ID:t0p/t155o
暗がりにこうこうと光る四角の板。

劇場とは違って広く空いた背中の向こうに、私たちの影が出来る。

今日はよろしくね、と自分の影にご挨拶。

画面は見られないから、結局のところこの子を見つめることになる。

真っ黒なもう一人の自分とおしゃべりでもできれば、音声も気にしないようにできるのに。

目的の時が来るまでは、ちょっとだけ苦しいかも。
20: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:38:43.11 ID:t0p/t155o
リモコンの主たる伊吹は、パシパシとCMを飛ばしていく。

これも楽しみの一つだと思うのだけど……

あ、今の予告、気になってる映画だったのに。

なんて考えていたら、あっという間に本編へ。


「わ、見て見て! この俳優さん、この映画のために体作り直したんだって!」

「……普段とどこか、違うかしら」

「えー、全然違うじゃん! ほらほら、ちょっと頬がこけててさー」

「そういわれてみれば、そうかも」

「でしょ?」
21: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:39:38.69 ID:t0p/t155o
ぼーっと虚空を見つめながら、伊吹の力説に生返事。

序盤も序盤、ありきたりでべったべたな出会いの物語が液晶の向こうを流れていく。

あーあーあー。

一目見た瞬間の感動の独白なんて、聞こえないわ。

街の中でおこった、些細で些細で、奇跡的な鉢合わせなんて、目に見えない。

いままでの空虚を埋めてくれるかも、そんな期待のこもった女の子の笑顔なんて、恥ずかしいからやめてくれないかしら。

ふと手元をみれば、爪の先にマニキュアのかけらが残っていた。

削ってしまうのは傷になりそうでいやだけれど、除光液は手元にない。

カリカリ、していましたい。

カリカリ。
22: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:41:13.76 ID:t0p/t155o
「ちょっと……! ほらいま大事なとこだよ……! どこ見てるの……!」

「はーい」

「しーっ!」

「…………」


私の返事に反応して、私の口元に添えられる一本指。

叱責する伊吹の言葉はコショコショと小声で、いったいだれにはばかっているのかしら

映画の神様とか?

映画を見てる私たちを見てる、映画の神様。

……さすがにちょっとくだらない。
23: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:41:46.69 ID:t0p/t155o
よそ見をしてれば叱られるのは、知ってた。

だって、まだまだ伊吹は映画に集中していないもの。

入り込んでいないもの。

小声でちょくちょくといろんな解説を入れてくれる。

いくらかお話が進めばこれが、はーとか、えぇー、とか、うわーとか、言葉じゃなくって音になるからとてもわかりやすい。

ただ今はまだ、そうじゃない。

今はまだ、目を背ければ伊吹にばれて怒られてしまうと、わかっていた。
24: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:44:00.73 ID:t0p/t155o
「それでさ」

「はい?」

「結局のところ、どうして今日はこれが見たいって?」

「…………」


伊吹の指先にぶら下がるパッケージイラスト。

花びらだか心証だか、派手なピンクをバックに抱きあう男女が白々しい。

流れる物語は今、運命が始まってから運命に転げ落ちるまでの中だるみ。

伊吹の意識がこっちに戻ってくるこの時が一番やっかい。

声が戻って意識が浮かんで、聞いてほしくないことを聞いてくる。
25: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:45:31.31 ID:t0p/t155o
「さっきもいったじゃない? 気まぐれよ?」

「ほんとにー?」

「さぁ?」

「うわ、ここでもはぐらかすの、ずるい」

「ふふふ」


でも、これさえ超えてしまえば。


「ほら、映画。 見なくていいの?」


男の子が、デートに誘うわよ?

そんな簡単な言葉一つで、あちらの世界に蹴っ飛ばしてやれば。
26: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:46:09.19 ID:t0p/t155o
「あ、見逃したかも!」

「巻き戻す?」

「そんな野暮な事はしない!」


あーもう! 奏のせいだからね!

なんてしばらくはぶつくさ言っていても、すぐに文句に力がなくなって、解説すら言葉少なになって。

とうとう、黙ってしまう。

きゅっと口元を引き締めて、いつもパチパチとはためいている大きな目を、くわっとさらに見開いて。

画面の向こうの一挙手一投足に、くるくるくるくると顔のパーツを動かして。

どんどん、空想の恋に囚われていく。
27: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:46:55.32 ID:t0p/t155o
こうなると、そろそろかな? そろそろかな? と、私の中の小悪魔がささやいてくる。

まだ、まだガマンなさい。

もう少し我慢すればいい目が見られるから。

だから……ガマン……

ほんの少し、理性と呼ばれるような何かで持ちこたえるけれど、それも一瞬。

ちょっとだけ、ちょっとだけ、いいかしら……?
28: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:47:42.91 ID:t0p/t155o
「伊吹」

「しっ!」


やっぱりまだみたい。

もう少し待つ。
29: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:48:19.17 ID:t0p/t155o
とうとう恋仲になった二人が、不幸の重なりと誤解でまた疎遠になりそう。


「伊吹?」

「…………」

「ねぇ伊吹」

「ちょっと、袖引っ張らないで」

「はぁい」


薄い応答に少し、期待してしまった。

まだ、まだ。

でも、あとちょっと。
30: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:49:06.73 ID:t0p/t155o
真実の愛に目覚めた二人は、夜景を背後に今までを振り返る。


「伊吹?」

「…………」

「……伊吹」

「…………」

「……なにか言ってくれないかしら、ねぇ」


首元に伸ばした手を、ぱちんとはじかれた。
31: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:50:29.52 ID:t0p/t155o
別段痛くもなんともない、すごく優しい、拒絶。

その手に残る感触が教えてくれる。

白い光に無遠慮に照らされている、伊吹の真剣な表情が教えてくれる。

いまならもう、いける……

いまならもう、大丈夫……!
32: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:51:03.45 ID:t0p/t155o
「伊吹、ねぇ伊吹……」

「…………」


小声で、万が一にもあっちから意識を引っ張ってこないように。

でもしっかりと主張して。 真剣な耳にちょっかいをかける。

反応はごくごくわずか。

間近の音にうっとおしそうに、俳優の愛をささやく言葉を聞き逃さまいと、ぴくぴくと。

こまかくこまかく、耳が動く。
33: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:51:44.13 ID:t0p/t155o
「……ふふ、ねぇってば」


二人の愛の決意は、もうすぐ絶好調になりそうな。

差し出される指輪。

不確かだった愛を、しっかりと形として受け取った女の子は言葉にならない感動を涙にする。

それに合わせて私の目の前の純情ちゃんもうるうる、うるうる。
34: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:53:12.21 ID:t0p/t155o
「…………ふふふ」


もう一度、手を伸ばす。

今度は払いのけられすら、しない。

かすかにふれた頬は、きっと興奮だか感動だかで紅潮しているのだけど、熱いとは感じなかった。

私の体温も上がっているから、お互い様。

頭のどこかで、相対温度なんて言葉がよぎって、その場違いな堅苦しさにおもわずにやけてしまった。
35: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:54:06.11 ID:t0p/t155o
そのまま動きを止めて、言葉でちょっかいをかけるのすらやめてしまえば、この部屋に響くのは、スピーカー越しの愛の誓いと、伊吹の鼻をすするかすかな音だけ。

私の心臓の音は、私にしか聞こえない。

大きくなる私の吐息は、全力を込めて押し殺す。

あがった心拍数を逃がすように、不自然に息を止めてしまわないように、ゆっくりゆっくり細く細く、深呼吸しながらこの闇の中に溶かしていく。

大丈夫、聞こえてない、きっと、聞こえてない。

そう言い聞かせなければ、緊張に、興奮に、押しつぶされてしまいそう。
36: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:55:38.36 ID:t0p/t155o
頬にやっていた手をはなす。

代わりに、少しずつ少しずつ、顔を近づけていく。

弱めに触れている程度だった体の感触は、いまでは互いに互いが、寄り添って、寄りかかって、預け合う。

今日はただでさえ近かった顔を、頬を、慎重に慎重に近づけていく。

首筋に、鼻を寄せて。

匂いには特に興味はないけど、お約束として、一呼吸。

ここまでしても、伊吹の目はその先の光をまっすぐに追うだけで、こちらを見ようともしない。

ひたすら無反応。

私の度を過ぎたイタズラもなんて、文字通り、眼中にない。

ここまでしても、なんとも思われていない。
37: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:56:17.64 ID:t0p/t155o
ああ、楽しい。


今のこの瞬間。

暗く、閉めきった部屋。

私の音をかき消す、映画の轟音。

世界で私を意識できるのは目の前の女の子が一人だけ。

私の好きな、女の子が一人だけ。

その子ですら、今の私を認識しようとはしていない。

私のことなんてどうでもいいと思ってる。


いつまで続くかもわからない、今という刹那の中でだけ、私は何をやっても受け取られない。

何をしても、私に対する心は変わらない。

それが心地よくって仕方ない。
38: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:57:27.26 ID:t0p/t155o
さらに頬を寄せる。

頬にくちびる近づける。

もし普段こんな距離に近づいたら、ぎょっとされて、距離を取られて。

もっと近づけば押し返される。

そんなの、当たり前。

だけど今なら、大丈夫なんじゃないかしらなんて、錯覚とわかる錯覚に身を任せながら。

近づいて、近づいて、近づいて。

欠片だけの理性を頼りに、ギリギリを探る。

気分は、最高。

これ以上ないってくらい高揚して、もう頭のてっぺんから意識が飛んでいってしまいそう。

だなんて。
39: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:58:11.26 ID:t0p/t155o




そんな一瞬の永遠を楽しんでいたのに。



40: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:58:54.84 ID:t0p/t155o




「奏、キス、したいの?」

「……え?」



41: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 22:59:24.81 ID:t0p/t155o




不意に、世界が壊れた。



42: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/06/02(木) 23:00:00.01 ID:t0p/t155o
「奏」


気が付けば伊吹がこっちを覗いていた。

真剣な顔が、斜め後ろからじゃなくて、真正面から見える。


「そんなに近づいて、そんなにうるうるして」


こっち見ちゃってさ。
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